『常識を疑え』という言葉。それは言い換えるなら『物事を多面的に捉えろ』

 

こんにちは。湘南のクリスタルマジシャン Michel(@michel_orbs)です。

 

ストレス社会と評される世の中、暗いニュースが続く世の中、うんざりしている人も多いのではないでしょうか。
そんな世の中で、私はエンターテイナー、つまりは自営業やフリーランスと呼ばれる働き方をしているわけですが、人によって仕事も生活も様々なカタチがあるわけです。

 

よく日本人は無個性だとか、言いたいことを我慢する人が多いとか、そういう風に言われております。
でもこのストレス社会、いわゆる同調圧力の中で個性むき出しで生きる方が難しいのではと私は思います。
だって、個性出して空気読まないで勝手に動いてクビになるのふつーに怖いよね。

 

さて、そんな世の中で様々な本で『常識を疑え』という言葉を目にするようになりました。
要は、働き方や自分の肩書きや生活を”こうあるべき”と決めつけずに、もっと自由に自分の意志で選択せよ、ってことですね。

 

この言葉に対して、私が率直に思うこと。
それは『もうひとひねり言い換えた方が、伝わりやすくて優しい言葉になるのでは?』ということ。

 

だって、既に会社の上下関係や生活の事情でいっぱいいっぱいの人がこれだけいるのに
『常識を疑え』っていきなり言われたって上手く伝わらないし、世間に響かないんじゃない?って思うわけです。
うつ病で苦しむ人に『死ぬのは勿体ない』って言うのと同じくらい残酷だし、伝わらない。

 

サラリーマンの人が何の用意もせず、スキルも持たずに『常識を疑うぞ!自分らしく生きるんだ』って無計画にいきなり会社辞めたら冷静に考えてリスキーです。この言葉の本質はそういう意味じゃない。

 

『常識を疑え』という言葉の本質。
それは言い換えると『物事を多面的に捉えよう』ということです。




常識を疑う、それ即ち、様々な解釈で物事を受け入れるということ

まず、常識って言葉。
大多数の人がそうしているから、それが正しいと言われているから『常識』。

 

噛み砕くと、ある一つの解釈をする人が世の中にとても多いからみんなそれを常識と呼びスタンダードにしてるってことであって、必ずしも自分にとって当てはまるとは限らないんですよね。

 

働き方一つとっても、サラリーマンの人とフリーランスの人はそれぞれすごく大変だし、どっちのスタイルが自分に合ってるかは人それぞれ。
だから、優劣なんて付けられるはずがない。

 

『常識を疑う』って言葉を多面的に捉えると、『常識以外にも、もっと色んな選択肢があるんだよ』って優しいメッセージが見えてきます。

 

大体この手の言葉が書いてある本ってビジネス書が多い気がするんですけど、これって働き方以外にも当てはまるし、人生において一番大切なことを表してるんです。

 

自分の意志をしっかり尊重しつつ、あらゆる物事や個性に対して色んな解釈の幅を持とうってこと。
そうすれば、常識や固定観念に囚われてストレスを感じたりイライラしたりすることも減るだろうし、心がすっと楽になる。




人も物事も十人十色。正解も間違いもそこには存在しない

流石に、人を傷つけるとか倫理的に明らかにダメな例は一旦置いておいて、あらゆる物事って色んな解釈が出来ますよね。プラス思考と呼ばれているやつです。

 

例えば、怪我をして遊びに行けなくなってしまったとき。
マイナス思考だと、『このタイミングで怪我をするなんて運が悪いんだ』
と思う所を、プラス思考の人は
『あのまま遊びに行っていたらもっと酷い怪我をしたかも、これでよかったんだ』
と考えるそうです。

 

かくいう私は結構マイナス思考になりがちな面があるので常日頃からプラスに考えられる人は本当に尊敬します。
でもこの通り、捉え方次第でどんな物事でもプラスに捉えられるってことですね。

 

『常識を疑え』って、要するにこういうことなんだと思います。
常識外れだから、周りと違うから、と悲観しないで、自分らしさや周りの個性、物事の流れをあるがまま受け入れる。

ストレス社会の本質、人は自分達で毒を作ってしまった

人々は自分達が長年積み上げた常識や固定観念という毒に侵され続けた結果、ストレス社会が生まれたわけです。
肩こりとかと同じで、すぐに解消するものではありませんが、少しずつ一人一人がほぐしていけば、ストレス社会は必ずや解消されるでしょう。

 

人間関係で摩擦が発生したら、『あの人にとってはそれが正しいんだな』とほんの少しでいいので、多面的に思いやれれば良いと思います。
スピード運転で飛ばす車がいて迷惑しても、『何か重大なことがあって急いでいるのかも』
と思えば割とどうでもよくなります。

 

自然界には、毒を持つ生き物と毒を持たない生き物がいます。
人間は本来、毒を持たない生き物のはずでした。

 

でも人間の言葉や思考は、毒にも薬にもなる大きな力を持っています。
人間は、相手の心と体に一生の傷を負わせることすら可能な、猛毒を持った生き物になってしまったのかもしれません。

 

自然界の毒とは、本来自分を守るための毒であり、生きるための必要最低限の毒なのです。
必要以上に毒を撒き散らして、同族の中でお互いを傷つけ合うのはあまりにも不自然なのです。

 

常識を疑うこと。
それは、多面的に物事を捉えストレスや理不尽という天敵から自分の身を守り生き抜く術。
人間はほんの少しだけ、最低限の毒を含めば良いのです。




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湘南在住の日英中3ヶ国語を話すステージマジシャン。 最先端のLED技術とマジックを組み合わせた『光と錯覚のパフォーマンス』を得意とし、全国の有名ホテルやパーティなどに出演しています。 出演のご依頼やご相談は、こちらからお気軽にお問い合わせ下さい。